1. HOME
  2. ブログ
  3. ブログ
  4. アサヒビール退社

BLOG

ブログ

アサヒビール退社

 
本日、アサヒビール社を早期退職しました。
1989年4月(H元年)に入社して以来34年間、『旨いビール』を造るための設備を作ってきました。多くのメンバーに支えられ学ばせてもらい、充実した日々おくれた事、感謝しかありません。ありがとうございました。

スーパードライが発売されたのが1987年3月で入社の2年前。当時は『ドライ戦争』が始まり製造が間に合わない事から、入社後すぐに工場の大規模なS&Bに携わってきました。
半年間で休みが2日。しかし旨いビールを楽しみにしているお客様の事を想像したらワクワク感いっぱいで我武者羅に働きました。しかしそれが2年半続いた時には精神的に限界となりましたが、運よく工場建設が完了した工場へ異動になったので乗り切る事が出来ました。

91~92年頃、市水道の水が臭いと言われるようになりました。水質基準もクリアして品質的には問題ありませんが、水源となる霞ケ浦、琵琶湖の富栄養化によって藻類が発生したことが起因します。旨いビールを届けたい!その想いで水由来の臭いを無くすため「水の高度処理設備(オゾン+活性炭)」を業界に先駆けて導入しました。
この頃から水もペットボトルで買う時代になってきました。小さい頃から「水道の蛇口からそのまま水が飲めるのは日本だけだよ」と教えられ、日本に生まれたことを自慢に思ってきた小生にとって今でも水は水道の蛇口から飲む習慣となっています。

95年、阪神淡路大震災を西宮で経験し工場の復旧工事に全力で取組みました。一方で街全体、一人ひとりが心の底から助け合って頑張ったあの一体感はかけがえのない経験でした。当時生まれて2ヶ月だった長男も地域の皆さんの協力で無事に育ちました。感謝しかありません。
96年には工場廃棄物100%再資源化を企画し達成しました。
ビール会社にとって副産物であるビール酵母、粕やびん屑など、当時でも再資源化率は98.5%でした。残り1.5%をこだわり一年後に達成させました。その取組が認められ98年に地球環境大賞通産大臣賞を受賞しました。
2012年から地球温暖化のビール業界のKPI設定に関り、14年からビール社の人財育成に注力してきました。

本当に恵まれた34年間で感謝しかありませんが、こんな想いも持ち続けていました。
現場では一生懸命に頑張っている社員が必ずしも人から認められているわけではないと言う事。

片隅のだれも注目しない場所においても精一杯頑張っている人がイキイキと輝き活躍出来るように、スポットライトが当たるようにサポートをしていきたい。
皆さま これからもご指導宜しくお願い致します。